黒崎京子の読書ブログ

本を読む はんなりとゆるりと凛として毅然と桔梗のように清楚に

子宮頸がんワクチン被害~人生最大の悔恨

これから子宮頸がんワクチンを受けるお嬢さんを持つ親御さんへ

どうか、慎重に検討して欲しいと思っています。

今日は本の紹介ではありません。わが家の現状です。
 
ここ暫く、ずっと気に掛かっていたことがあった。

それは、1年近く娘(ドロ)の体調不良のことだった。

真実を話すと、欲しくて欲しくてやっと授かった5年目にして神から預かった子です。


小さい頃は、アトピーも酷く、喘息もあった。神経芽細胞腫も股関節も、腎機能もみな市の健診に引っかかりながらも、さほどの事なきを得て、大きく育ってくれました。高機能自閉症、広汎性発達障害(PDD)のアスペルガーではあるが、公平で、思いやり深く、口数の少ないおとなしい子どもに育ってくれた。


それが、昨年親としては6月頃から、彼女の体調不良に右往左往して来ました。

検査をしても、僅かにいろいろなところが引っかかるのですが、原因が分からず病名の確定診断には至らず、対処療法をしてきました。

長期の欠席や早退、遅刻、体育や音楽が出来なくなったりして、居場所が無くなり、不登校ぎみの最近でしたが、鬱だと思いつつも、


脳の知的レベルの低下、気力や異常な倦怠感と睡魔、傾眠を感じ、親としてとても不安な日々を過ごしていました。

今までの落ち込みとは何かが違う。体力的には少しずつ戻ってきてはいるが、脳の活動は悪化している気がしました。
あれほど好きな本を読まなくなったり、スケジュールを決して忘れたり、実行できないことは無く決められたら絶対にやらないときが済まない子だったのです。それが、認知症のように、自分のあれほど好きな英語の塾のスケジュールを度々忘れたり、ご飯を食べたかどうか聞いてきたり・・・・・。

そこへ春頃からの子宮頸がんワクチンの被害のニュースの拡大、中止。

動悸が摺るらしい・・・・。

あれ?もしかして、

初めて走ると動悸がして過呼吸になってきたのは、4月からだ。それまでは、「クラスの女子で持久走一番だったよ。」などと言っていたのだ。
接種をしたのが、2012年3月26日、毎回、注射部位が腫脹し、赤く硬くなり、じんま疹が出たりしてきたし、あの時も、前述+2回目の接種から、異常な倦怠感を訴えていたが、「暫くは仕方ないよ。アレルギーがあるから副作用も出やすいんだよ。」
などと軽く受け流していた。

あまりに、不安になって、抱えきれなくなって、数日前に彼女を小さな頃から見てくれていた保育ママさんに愚痴を言いに行きました。

すると、

「実は、私もここ1年以上変なので心配していました。もう、去年の今頃より早い時期から、疲れる疲れると言って、部活を休んでここへ寄っていたんです。お母さんには内緒にして欲しいといって、ここで横になって帰っていました。それから、気になっていたのは、その前くらいまでは、最近どんどん話す内容が難しくアカデミックなことを話すようになってきて、もう私がついていけないなあ。どんどん離れていってしまうのだなあ。と感じていたのが、だんだんあまり話さなくなって、疲れたと横になることが多くなり、難しいいろいろなことを話さなくなったことも気になっていたんです。」

と話してくれました。

6月には、走るときだけでなく、夜間の睡眠中も呼吸困難は襲ってきました。なのに、過呼吸で精神的に弱いからと気にもせず、通学も自転車で10分で1年生の頃は行けていたのに、一生懸命漕いでいるのに20分から30分掛かって遅刻してしまうと言っていたのもこの頃でした。

部活でも大会に出ているわけでも無いのに応援に行って、体調不良で呼び出されて迎えに行ったり、学校からも体調不良だと指摘され、その後は、どんどん倦怠感が強く9月にはとうとう起き上がれなくなりました。学校の保健の先生が、過呼吸ではなく胸痛や背部痛で、心臓のような感じがします。と言われたのもこの頃でした。
心電図を撮ると、心房調律という異常が見つかりましたが、専門医に見てもらうまでに1ヶ月くらいかかり、そうこうしているうちに心臓の調子も復活してきて、見て貰ったときは不整脈が若干ある程度で問題視されませんでした。

あまりにボーっとしているのと、本人も、かなり不安になってきたのでしょう。
「私治るのかな?どうなってしまうんだろう。」
と不安を漏らされたのもこの頃です。

また、長い話が分からない。集中力が無くなった。計算が出来ない。と訴え始めたのもこの頃でした。

頼んで脳血流を撮って貰いました。
血流低下と前頭葉や、頭頂葉などの集積が認められました。

病院にも、何度も行っていろいろな検査をして貰いました。最後のほうは、「何でも無い。鬱だろう。」となり、嫌がる先生に食い下がってお願いする状態でもありました。
病院の待合室でも横になってぐったりしていました。

11月にステロイドを使って、倦怠感が劇的に緩和されましたが、
スペクトでの効果は無く、さらに海馬にまで集積が見られたため、ステロイドを打ち切ることになり、1月初めで終了しています。

この頃はまだ動悸や呼吸困難は続いていました。
ステロイドを辞めるとやはり再びどんどん倦怠感は悪化して来ていました。また異常な睡魔だと漏らすようになりました。
もともと、短時間睡眠で早起きな子だったのが、いつも寝てばかりいるようになりました。学校から帰ると制服のまま毎日ベッドインして、全く勉強しなくなりました。

胸の骨がバリバリ言う。胸の骨がつる。などとも言っていたし、腹痛や下痢も酷かったです。めまいも出ていました。
朝も昼も夕も関係なく眩しいと視覚の異常を訴えたり、

学校へは私が送り迎えをしました。が、それでも、お迎え連絡も多く、行っていても保健室で休んでいた方が多かったり、休んでいても呼吸状態が悪く呼び出されたりしました。

おそらくかなりしんどかったのでしょう。

私たち夫婦はそんな彼女の不安や悲しみを、今となっては全く分かって上げられていなかったのだと思います。


いろんなサインが出ていたのに、頑張りが足りない、精神力精神力と、煽ってきたこと。

保育ママさんに言われて初めて、気が付きました。

ネットで恐る恐る被害者の声を開いてみました。

時系列も、症状も、ほとんど被りました。すぐに出た人もいますが、その人たちもだんだん動けなくなっていったり、倦怠感が酷くなっていっていました。

ドロがあまり訴えていなかった体の痛みも、記録を開くと、第1回の接種後に既に、足の痛みなどを訴えていました。
顔や全身の蕁麻疹等も見られ、今までの接種とは明らかに違う症状もきたしていたのです。
今日は痛いところがある?と聞くと、「今日は左側の背中。だけど、あちらこちら時々いろいろなところが痛くなる。」と昨夜の談。
もっと、耳を貸して上げるべきだったのだ。



親として、人生最大の失敗をしました。当事者になって見ないと分からないものですね。
薬害エイズや肝炎の親の気持ちを初めて感じました。
後悔してもしきれません。なぜあれほど急いでしまったのか?
どうして、もっと、調べてから受けさせなかったのか?

そしてなによりも、副作用が出たときの対処法や治療法が何一つ確立されていないことを、初めて知りました。

東洋医学や民間療法に頼るしかない現状のようです。