黒崎京子の読書ブログ

本を読む はんなりとゆるりと凛として毅然と桔梗のように清楚に

原子力発電所、核兵器〜高崎高校の視点


実家の父母に、少し先にはなるが、家を建て替えるので、
「荷物を処分して」と言われた。

ので、実家に行ってみた。
「う〜ん。いるのは机くらいかな。後は捨ててよ。」

と言ったが、置いてきた本が気になり、本のダンボールを持って帰ってきた。

一番捨てがたいと思ったのは、ギターブックや、アリーナ37℃。
やはり、

歳がばれるが、アルフィーや、中島みゆきオフコースチャゲアス、尾崎
のコンサートに行った日々が懐かしい。

今も好きな人にあげられたら・・・。と思ったが、
いい方法が見つからず、ごん他の保育園の廃品回収に出した。


そのときに袋から出てきたのが、野球の切り抜き。
その中に、
甲子園に出たときにファンになった高崎高校の、文化祭で貰った新聞部の新聞があった。
昭和56年と、57年の号で、
びっくりしたのは、なんと、

原子力発電所は必要か?安全か?
と言う内容が記事になっていた。
仕組みも詳しく図が載せられていて、この間新聞に出ていた図とおんなじだった。

そして、翌年は、核兵器について、
もし、高崎に落とされたら、と言うような想定図まで描かれていた。

もちろん、当時の部員の見解は、安全が決して保障されるものではないことや、反対と言う気持ちが根底にあっての記事でした。

私は、当時として、斬新だと感じたのは、
「高校でも生徒に先生を選ぶ権利を与えよ」みたいな記事に目が釘付けでしたが、

30年も経て改めて見直したときに、
当時の自分と同じ年齢の高校生が、すでにこのときに、

今を見据えたような、

放射能汚染の危険性を真剣にストレートに論じていた。

なんとなく、高校の雰囲気と言うか気概見たいものが、1度学祭に行き、大好きになり、毎年電車に乗っていきました。駅から高校までの道程もかなり歩いた記憶があります。

こんな素敵な、すごい視点を持っていたのだと、30年以上の歳月を経て、改めて感心した次第です。(自分は、大切なことを当時は見落としていたこと。同じ年でも、こんなスケールの違う本当に大切なことに気がついている人がいたということはショックでもありました。)

帰宅後の夫に見せたら、夫も読んでくれました。

二人で、感動しました。